マリンタワー。
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こんばんわ。今日ワタクシの身にある一つの災難が降りかかりました。
結構ダークサイドの話になってしまうかもしれないので、読みたくない人はパスしてくだされ。
結構ダークサイドの話になってしまうかもしれないので、読みたくない人はパスしてくだされ。
ちなみに今日は昼間のんきに仕事してました。
やることないから、ひたすらROCKIN'ON JAPANを熟読。
そして今朝見た夢の内容や、ブログのネタなんかをメモったりして。
実に有意義に過ごしておりました。
気がかりなことは何一つなく、朝の豪雨、昼間の晴れ間、そしてまた雨、晴れ…の「ヘンな天気だなー」ぐらいしか感情を動かされるものはなく。仕方なしにニューズメーカー購入して(じゃぁ買うなよ)最近Kっぺに借りた「東京タワー」(リリーフランキーの方ね)を読みながら、プリッツ片手にボリボリ食べながら帰宅。
お腹が空いてたので、速攻親子丼とお吸い物を作って平らげ、これまたのんきにドラ●もんを見る。
へー、声が変わって一周年なんだー…とか思ってるところに一本の電話。
相手は父の実家の長男の奥さん。(私からしたら伯母さん)
「マクリちゃん、今日ね、お父さんがウチに来たみたいなんだけど、なんか様子がおかしいみたいなのよ。おばちゃんは出かけててわからなかったんだけど、おじさん(父の兄)が言うには、どうも最期の挨拶に来たみたいだって。
身なりもキチンとしてるし、お酒2本持ってきて。なんかおかしかったみたいなの。心配だから家行って見てきてくれない?」
とな。
でも別に最近際立っておかしなことなかったし…身なりがキチンとしてたのは、ただ単に床屋に行っただけだと思うし…
そういや今朝、私が出勤中に携帯に電話あったけど、走ってて出れなかったなぁ…
私「えー…私疲れてるし面倒くさいよー。家そんなに近いわけじゃないし。たぶん大丈夫だよー。とりあえず叔父さん(父の弟)に連絡してみるよ」
と、一旦電話を切って弟のほうへ電話。
叔父「お前な!俺にどうこう聞く前に、自分で様子見に行け!そのうえで電話よこせ!」
と、一喝されて電話が切れました。確かに言うとおりだわ。
一応家と携帯に電話してみたけど応答なし。…行かねば。行って確かめねば。
なんだか足が震えてきた。
父はガソリンスタンドで夜勤している。とりあえず今日は出勤日かどうか電話で確認する。「今日は21時出社予定ですね」
明日のシフトも確認してみる。「明日はお休みです」
とりあえずコンタクトをはめて、ここで私が事故やっては話にならない。落ち着いて運転せねば。
でも、父が倒れたときのような妙な胸騒ぎは一切しない。何かあったらまず、ばあちゃんが何がしかのカタチで私に教えてくれるから。
それに私に黙ってお父さんは逝ってしまったりするわけがない。最期の挨拶が兄だけなんて。たった一人の娘にお別れしないで逝ったりするわけがない。
だから私は妙に冷静だった。心配する気持ちよりも、妙に心の芯がドカッと据わってて(肝が据わるだね)絶対大丈夫だから…って気持ちで家に到着。
すると「マクリか!?」と叔父の声。さっき怒鳴って電話を切った後に、心配して来てくれたみたい。
どうやらTVは付いている模様。ただし、玄関を叩いてもガラス戸を叩いても返事がない。
電気もついていない。
その時、私は庭に面しているガラス戸の鍵が開いているのを発見。叔父に告げる。
もし、自殺していたら……とてもそんな光景直視できない。
こわくて叔父がガラス戸を開けるのをただ待っていた。
そして、ガラス戸があけられて………
「おう。どうした?」
………いた。………いました。
叔父「あぁ、いたのか。いや、よかった。」
父「とりあえずあがれよ」
叔父「わかった。あがるか」
叔父の奥さんも一緒に、とりあえず上がる。
父「なんだ。どうしたんだ?」
とりあえず、事の一部始終を話す。
父「はぁ?なんでまたそんな話になったんだ?」
ここで説明します。
私の父は、その昔、とある企業でバリバリ出世してそこそこいい役職についておりました。
家庭の事情で訳あって父だけ高校に進学できず、中卒で就職。東京に2年いた後、地元に帰ってきて、さんざんやんちゃしまくりながらも、アルバイトで入ったガソリンスタンドでめきめきと頭角を現し、即所長に。
母との出会いは17歳だったでしょうか。詳しくは知りませんが、海でナンパしたとか…二人ともそこらへんはあまり教えてくれないのでわかりません。
18で結婚しようとしましたが、3年待てと祖母に言われ、3年の同棲期間を経て結婚。私が産まれるのはかなり後になります。
まぁ、以前書いたように、家庭内はすったもんだが物凄く沢山ありました。
出世街道まっしぐらと反比例するかのように、家庭崩壊が進行してゆき、お金は沢山あっても全然幸せではありませんでした。
そんな親子関係をずっと続けてきて、父が会社を辞め、地元に二人で戻ってきて、とあるクラブのホステスにハマり、退職金はほぼその女に貢ぎ、私はごくつぶし扱い。
借金しまくって更に女に貢ぎ、生活は苦しくなっていきます。
この歳で就職先はなかなか見つからず、退職金も貯金も使い果たし、更に借金で生活をする日々。
周りの友人や親戚との関係は悪化する一方。
誰もが父に愛想を尽かしてました。私は憎悪の念にかられて、色情に狂った私の知らない父に、親に対していつも従順であった私が唯一キレた時が一回だけありました。
しかし、変わってしまった父はそんなキレた私をたなだめるだけ。どうしようもないと悟った私は、家を出る決意をします。
このままでは共倒れになってしまう。私を守れるのは私しかいないのだ、と。
さすがにこの時、本気で私が出て行くとは思いもよらなかったらしく、本気で引越し作業をしている姿を見て「本当に出て行くのか」と驚いてました。
出て行けと言ったのはあなたでしょう?と、心の中で思い、一度決めたことはテコでも動かない私の信念は折れることもなく。
父には何一つ頼らないで、私は私の人生をスタートさせました。
その後、父も脳梗塞で倒れて私も事故の連続でどん底を彷徨い、やっと今立ち直ってきたかというような時に、またお葬式はやめて〜…って思いながら。
借金地獄の末に、去年の年末はとうとう自己破産。
脳梗塞以降からの父は、借金苦を抱えまくって別人のようにやせ細り、体格が良くて、気前が良くて、横柄で、気遣い名人だったのが正反対に。
私にも借金をし、いままで散々大きな態度をとってきたのが、ペコペコと頭を下げて、「すみません」を連発する始末。
もう見ていられませんでした。正直「この人は私の父ではない」と思っていました。
何を話しても答えは返ってこなくて。ホステスとは別れたとかいう話を聞いて、すっかり元気のなくなった父。
でも心のどこかに、自分が今まで虐げられてきた憎しみの念が残っていて、そう簡単に治まるでもなく。「自業自得だわ」ぐらいにしか思ってなかった。
そして、たとえ自殺をしたとしても、それは仕方のないことだし、それに対して「ああすれば止められたかも…」とか思うのはやめようと思った。
色んな思いが複雑すぎるほど絡み合って、だから私はものすごく冷静にならざるを得なくて。自分の父が死ぬかも?っていうのは、どこか別の次元の話のように思えてた。
死んだら泣くのかしら?お葬式の費用はどうしよう?
そのまえに、私はまだ結婚していないわけだから、父が自殺で死んだなんて彼氏の親にばれて、もし結婚できなかったらイヤだ、とか、あさってな方向にばかり意識が飛んでいた。
全ては自分中心の考え。だから叔父にどやされたわけだ。
でも、いつだって私は「いざ」っていう時、かなり冷静になってしまう。感情よりも現実のが勝ってしまう。 いつもそこを注意されるのだけど、身近な人ほど、掛け値なく感情で動けなくなるから、どうしても(特に父に対しては)自己の保身が先立ってしまう。
冷たい人間なんだろう。
離れている母に対してのほうが、より感情的に動ける。そんな自分にがっかりすることもあるが、それが真実なのだから。私の心がそう思っているのだから、嘘は吐けない。
やはり憎しみを抱かせた相手に対して、無償の愛を捧げられるほど私は善人ではないのだ。自分に都合のいい相手に対しては、嫌というほどの愛情を注げられるけど。
でも母に対して憎しみの感情がないかといえば嘘になるし、そこは大人になってちょっとずつ薄めていくしかないので。
ま、とにかく色んな感情が渦巻いていて、現場に対してすごく冷静な自分になってしまうと。
で、別人になってしまった父に対しても、やはり「親だから」という感情の動きはできなくて。
ただ、とりあえず、何事もなくて非常に安心はした。
そして叔父にこっぴどく叱られて、叱られ上手な私は泣いておいた。とりあえず泣いておけば反省してる、父を心配してるって気持ちが伝わると思って。実に最低な女だと、蔑んでくれて構わない。
それを見た叔父は満足したのか、それ以上私を責めることはしなかった。
そして、「とりあえず安心した。兄貴も仕事だろうから、帰るわ。」と、叔父が一足先に出て、叔母さんに「ありがとうございました」と私がお礼を言い、そして帰り際「とりあえず無事でよかったよ。」と、一旦私は帰ろうとしたんだけど、とりあえず握手を催促して。
「だいじょうぶだよ。お父さんは黙って死んだりしないよ。その時はちゃんと言うから」って言ってくれて。
そしたらなんだか涙が出てきて、これは本当の涙で。えんえん泣いて、「本当によかったよぅ」といい年して泣きじゃくって、お父さんが頭をポンポンって撫でてくれて、困ったように笑ってて。
何度も「大丈夫だよ」って言ってくれた。お父さんの胸で泣いたのは、きっと初めてだと思う。
今までそんなこと一度もしたことがないから。怒られて演技で泣くことはあっても、心から泣いて、頭を撫でてもらったことなんかなかったから。
それで、なんか「あぁ、やっぱりこの人は私のお父さんなんだ。そして私は世界に一人しかいない、このどうしようもないお父さんが、大好きなんだ」って思えた。
今まで本当に嫌な事が山積みのようにあって、大嫌いだった時代から、別人になっちゃって心がまったく通わなくなっちゃって、もう私の知ってるお父さんには会えないのかも…って思ったけど、今日、やっとその優しいお父さんに会えた気がするよ。
娘にお金借りて、すごく卑屈な態度で、悲しかったけど。そのお金もある日、家の玄関のポストにポイッて投げ込まれてて。
お金返すときは、相手に直接会って返すもんじゃろが!それが礼儀っちゅーもんじゃろが!と憤ったこともあったけど。
なんか許せました。ほんとはずっと寂しくて、お父さんも寂しくて、おたがいずっと寂しかっただけなのかもね。
だから、今日のこのとんでもハップンな事件が起こって、良かったかも。
さんざん騒いでいた伯父さんには、逆に感謝すべきかも。
だって、弟と父は全然連絡とってなかったみたいだし、これを機に、ちょっとずつ昔のようにまた交流していけばいいな…って思ったよ。
帰り際に、「今日寒いから体に気をつけて仕事がんばってね。こんど一緒にごはん食べようね」って父に言ってきた。笑顔で「うん」って答えてくれた。それがすごく嬉しかった。
やっぱり、親は親なんだね。
もう冷静な自分はその時いなかったよ。でも帰りの車で、今の父を見たら「これなら安心して彼氏のこと紹介できそう。よかった」って思った。
どうか、自分の結婚式には、父と母を呼べますように。
そして、孫を抱いてもらえますように。
離れ離れの親子三人だけど、今この世にバラバラでも生きていて。大事にしようって思った。
今は母とばかり一緒にいるけど、父に対してやっと心の澱(おり)が取れたから、遅くなったけど親に対して労わりの気持ちっていうのが持てるようになったみたい。
「孝行したいときに親は無し」ってならないように、行動もそうだけど気持ちをね、そう持てるよう。
リリーフランキー読みながら。うちのオトンとオカンもバラバラやけど。
なので今日のタイトルは、地元の公園にあるマリンタワーからパクってみた。
しかし昼間にJAPANで読んだ読者投稿の記事が、また題材を「東京タワー」から持ってきてて、父親が亡くなった時の話なもんで、伯母から連絡あったときは「何コレ?なんの予兆?」と、正直焦った。
だって祖母からの虫の知らせらしきものは一切なかったから。
とにかく何事もなくてよかった。
ネタを書きとめまくった文字がビッシリのメモ用紙は、後日使用される…といいなぁ…(今日書かないなら、たぶん登場しないかなぁ)
父に対する想いが、また今後変わっていくのかもしれないけど、今の現時点で「許せた」ってことはよかったです。そういう気持ちになれて。
「私には母親がいるし」って思っていたけど、やっぱりどっちも大事な私の親だもんね。もう、なんか言葉で説明できないのよ。ほんとに。
本能で「親なんだ」って事実を体全体で認識してるから。
なので、どんな状況にせよ、親を大事にしましょう!…とは私は言いません。人それぞれだからね。
人は許すことによって、大人になっていくのでしょうな。
こうして、私の愛は、愛する能力というのは許容が増えていくのかもしれない…と思ったり思わなかったり。
長くなりましたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
やることないから、ひたすらROCKIN'ON JAPANを熟読。
そして今朝見た夢の内容や、ブログのネタなんかをメモったりして。
実に有意義に過ごしておりました。
気がかりなことは何一つなく、朝の豪雨、昼間の晴れ間、そしてまた雨、晴れ…の「ヘンな天気だなー」ぐらいしか感情を動かされるものはなく。仕方なしにニューズメーカー購入して(じゃぁ買うなよ)最近Kっぺに借りた「東京タワー」(リリーフランキーの方ね)を読みながら、プリッツ片手にボリボリ食べながら帰宅。
お腹が空いてたので、速攻親子丼とお吸い物を作って平らげ、これまたのんきにドラ●もんを見る。
へー、声が変わって一周年なんだー…とか思ってるところに一本の電話。
相手は父の実家の長男の奥さん。(私からしたら伯母さん)
「マクリちゃん、今日ね、お父さんがウチに来たみたいなんだけど、なんか様子がおかしいみたいなのよ。おばちゃんは出かけててわからなかったんだけど、おじさん(父の兄)が言うには、どうも最期の挨拶に来たみたいだって。
身なりもキチンとしてるし、お酒2本持ってきて。なんかおかしかったみたいなの。心配だから家行って見てきてくれない?」
とな。
でも別に最近際立っておかしなことなかったし…身なりがキチンとしてたのは、ただ単に床屋に行っただけだと思うし…
そういや今朝、私が出勤中に携帯に電話あったけど、走ってて出れなかったなぁ…
私「えー…私疲れてるし面倒くさいよー。家そんなに近いわけじゃないし。たぶん大丈夫だよー。とりあえず叔父さん(父の弟)に連絡してみるよ」
と、一旦電話を切って弟のほうへ電話。
叔父「お前な!俺にどうこう聞く前に、自分で様子見に行け!そのうえで電話よこせ!」
と、一喝されて電話が切れました。確かに言うとおりだわ。
一応家と携帯に電話してみたけど応答なし。…行かねば。行って確かめねば。
なんだか足が震えてきた。
父はガソリンスタンドで夜勤している。とりあえず今日は出勤日かどうか電話で確認する。「今日は21時出社予定ですね」
明日のシフトも確認してみる。「明日はお休みです」
とりあえずコンタクトをはめて、ここで私が事故やっては話にならない。落ち着いて運転せねば。
でも、父が倒れたときのような妙な胸騒ぎは一切しない。何かあったらまず、ばあちゃんが何がしかのカタチで私に教えてくれるから。
それに私に黙ってお父さんは逝ってしまったりするわけがない。最期の挨拶が兄だけなんて。たった一人の娘にお別れしないで逝ったりするわけがない。
だから私は妙に冷静だった。心配する気持ちよりも、妙に心の芯がドカッと据わってて(肝が据わるだね)絶対大丈夫だから…って気持ちで家に到着。
すると「マクリか!?」と叔父の声。さっき怒鳴って電話を切った後に、心配して来てくれたみたい。
どうやらTVは付いている模様。ただし、玄関を叩いてもガラス戸を叩いても返事がない。
電気もついていない。
その時、私は庭に面しているガラス戸の鍵が開いているのを発見。叔父に告げる。
もし、自殺していたら……とてもそんな光景直視できない。
こわくて叔父がガラス戸を開けるのをただ待っていた。
そして、ガラス戸があけられて………
「おう。どうした?」
………いた。………いました。
叔父「あぁ、いたのか。いや、よかった。」
父「とりあえずあがれよ」
叔父「わかった。あがるか」
叔父の奥さんも一緒に、とりあえず上がる。
父「なんだ。どうしたんだ?」
とりあえず、事の一部始終を話す。
父「はぁ?なんでまたそんな話になったんだ?」
ここで説明します。
私の父は、その昔、とある企業でバリバリ出世してそこそこいい役職についておりました。
家庭の事情で訳あって父だけ高校に進学できず、中卒で就職。東京に2年いた後、地元に帰ってきて、さんざんやんちゃしまくりながらも、アルバイトで入ったガソリンスタンドでめきめきと頭角を現し、即所長に。
母との出会いは17歳だったでしょうか。詳しくは知りませんが、海でナンパしたとか…二人ともそこらへんはあまり教えてくれないのでわかりません。
18で結婚しようとしましたが、3年待てと祖母に言われ、3年の同棲期間を経て結婚。私が産まれるのはかなり後になります。
まぁ、以前書いたように、家庭内はすったもんだが物凄く沢山ありました。
出世街道まっしぐらと反比例するかのように、家庭崩壊が進行してゆき、お金は沢山あっても全然幸せではありませんでした。
そんな親子関係をずっと続けてきて、父が会社を辞め、地元に二人で戻ってきて、とあるクラブのホステスにハマり、退職金はほぼその女に貢ぎ、私はごくつぶし扱い。
借金しまくって更に女に貢ぎ、生活は苦しくなっていきます。
この歳で就職先はなかなか見つからず、退職金も貯金も使い果たし、更に借金で生活をする日々。
周りの友人や親戚との関係は悪化する一方。
誰もが父に愛想を尽かしてました。私は憎悪の念にかられて、色情に狂った私の知らない父に、親に対していつも従順であった私が唯一キレた時が一回だけありました。
しかし、変わってしまった父はそんなキレた私をたなだめるだけ。どうしようもないと悟った私は、家を出る決意をします。
このままでは共倒れになってしまう。私を守れるのは私しかいないのだ、と。
さすがにこの時、本気で私が出て行くとは思いもよらなかったらしく、本気で引越し作業をしている姿を見て「本当に出て行くのか」と驚いてました。
出て行けと言ったのはあなたでしょう?と、心の中で思い、一度決めたことはテコでも動かない私の信念は折れることもなく。
父には何一つ頼らないで、私は私の人生をスタートさせました。
その後、父も脳梗塞で倒れて私も事故の連続でどん底を彷徨い、やっと今立ち直ってきたかというような時に、またお葬式はやめて〜…って思いながら。
借金地獄の末に、去年の年末はとうとう自己破産。
脳梗塞以降からの父は、借金苦を抱えまくって別人のようにやせ細り、体格が良くて、気前が良くて、横柄で、気遣い名人だったのが正反対に。
私にも借金をし、いままで散々大きな態度をとってきたのが、ペコペコと頭を下げて、「すみません」を連発する始末。
もう見ていられませんでした。正直「この人は私の父ではない」と思っていました。
何を話しても答えは返ってこなくて。ホステスとは別れたとかいう話を聞いて、すっかり元気のなくなった父。
でも心のどこかに、自分が今まで虐げられてきた憎しみの念が残っていて、そう簡単に治まるでもなく。「自業自得だわ」ぐらいにしか思ってなかった。
そして、たとえ自殺をしたとしても、それは仕方のないことだし、それに対して「ああすれば止められたかも…」とか思うのはやめようと思った。
色んな思いが複雑すぎるほど絡み合って、だから私はものすごく冷静にならざるを得なくて。自分の父が死ぬかも?っていうのは、どこか別の次元の話のように思えてた。
死んだら泣くのかしら?お葬式の費用はどうしよう?
そのまえに、私はまだ結婚していないわけだから、父が自殺で死んだなんて彼氏の親にばれて、もし結婚できなかったらイヤだ、とか、あさってな方向にばかり意識が飛んでいた。
全ては自分中心の考え。だから叔父にどやされたわけだ。
でも、いつだって私は「いざ」っていう時、かなり冷静になってしまう。感情よりも現実のが勝ってしまう。 いつもそこを注意されるのだけど、身近な人ほど、掛け値なく感情で動けなくなるから、どうしても(特に父に対しては)自己の保身が先立ってしまう。
冷たい人間なんだろう。
離れている母に対してのほうが、より感情的に動ける。そんな自分にがっかりすることもあるが、それが真実なのだから。私の心がそう思っているのだから、嘘は吐けない。
やはり憎しみを抱かせた相手に対して、無償の愛を捧げられるほど私は善人ではないのだ。自分に都合のいい相手に対しては、嫌というほどの愛情を注げられるけど。
でも母に対して憎しみの感情がないかといえば嘘になるし、そこは大人になってちょっとずつ薄めていくしかないので。
ま、とにかく色んな感情が渦巻いていて、現場に対してすごく冷静な自分になってしまうと。
で、別人になってしまった父に対しても、やはり「親だから」という感情の動きはできなくて。
ただ、とりあえず、何事もなくて非常に安心はした。
そして叔父にこっぴどく叱られて、叱られ上手な私は泣いておいた。とりあえず泣いておけば反省してる、父を心配してるって気持ちが伝わると思って。実に最低な女だと、蔑んでくれて構わない。
それを見た叔父は満足したのか、それ以上私を責めることはしなかった。
そして、「とりあえず安心した。兄貴も仕事だろうから、帰るわ。」と、叔父が一足先に出て、叔母さんに「ありがとうございました」と私がお礼を言い、そして帰り際「とりあえず無事でよかったよ。」と、一旦私は帰ろうとしたんだけど、とりあえず握手を催促して。
「だいじょうぶだよ。お父さんは黙って死んだりしないよ。その時はちゃんと言うから」って言ってくれて。
そしたらなんだか涙が出てきて、これは本当の涙で。えんえん泣いて、「本当によかったよぅ」といい年して泣きじゃくって、お父さんが頭をポンポンって撫でてくれて、困ったように笑ってて。
何度も「大丈夫だよ」って言ってくれた。お父さんの胸で泣いたのは、きっと初めてだと思う。
今までそんなこと一度もしたことがないから。怒られて演技で泣くことはあっても、心から泣いて、頭を撫でてもらったことなんかなかったから。
それで、なんか「あぁ、やっぱりこの人は私のお父さんなんだ。そして私は世界に一人しかいない、このどうしようもないお父さんが、大好きなんだ」って思えた。
今まで本当に嫌な事が山積みのようにあって、大嫌いだった時代から、別人になっちゃって心がまったく通わなくなっちゃって、もう私の知ってるお父さんには会えないのかも…って思ったけど、今日、やっとその優しいお父さんに会えた気がするよ。
娘にお金借りて、すごく卑屈な態度で、悲しかったけど。そのお金もある日、家の玄関のポストにポイッて投げ込まれてて。
お金返すときは、相手に直接会って返すもんじゃろが!それが礼儀っちゅーもんじゃろが!と憤ったこともあったけど。
なんか許せました。ほんとはずっと寂しくて、お父さんも寂しくて、おたがいずっと寂しかっただけなのかもね。
だから、今日のこのとんでもハップンな事件が起こって、良かったかも。
さんざん騒いでいた伯父さんには、逆に感謝すべきかも。
だって、弟と父は全然連絡とってなかったみたいだし、これを機に、ちょっとずつ昔のようにまた交流していけばいいな…って思ったよ。
帰り際に、「今日寒いから体に気をつけて仕事がんばってね。こんど一緒にごはん食べようね」って父に言ってきた。笑顔で「うん」って答えてくれた。それがすごく嬉しかった。
やっぱり、親は親なんだね。
もう冷静な自分はその時いなかったよ。でも帰りの車で、今の父を見たら「これなら安心して彼氏のこと紹介できそう。よかった」って思った。
どうか、自分の結婚式には、父と母を呼べますように。
そして、孫を抱いてもらえますように。
離れ離れの親子三人だけど、今この世にバラバラでも生きていて。大事にしようって思った。
今は母とばかり一緒にいるけど、父に対してやっと心の澱(おり)が取れたから、遅くなったけど親に対して労わりの気持ちっていうのが持てるようになったみたい。
「孝行したいときに親は無し」ってならないように、行動もそうだけど気持ちをね、そう持てるよう。
リリーフランキー読みながら。うちのオトンとオカンもバラバラやけど。
なので今日のタイトルは、地元の公園にあるマリンタワーからパクってみた。
しかし昼間にJAPANで読んだ読者投稿の記事が、また題材を「東京タワー」から持ってきてて、父親が亡くなった時の話なもんで、伯母から連絡あったときは「何コレ?なんの予兆?」と、正直焦った。
だって祖母からの虫の知らせらしきものは一切なかったから。
とにかく何事もなくてよかった。
ネタを書きとめまくった文字がビッシリのメモ用紙は、後日使用される…といいなぁ…(今日書かないなら、たぶん登場しないかなぁ)
父に対する想いが、また今後変わっていくのかもしれないけど、今の現時点で「許せた」ってことはよかったです。そういう気持ちになれて。
「私には母親がいるし」って思っていたけど、やっぱりどっちも大事な私の親だもんね。もう、なんか言葉で説明できないのよ。ほんとに。
本能で「親なんだ」って事実を体全体で認識してるから。
なので、どんな状況にせよ、親を大事にしましょう!…とは私は言いません。人それぞれだからね。
人は許すことによって、大人になっていくのでしょうな。
こうして、私の愛は、愛する能力というのは許容が増えていくのかもしれない…と思ったり思わなかったり。
長くなりましたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
- [2006/04/21 23:09]
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